2006-03-25

夜回り先生

夜回り先生こと水谷修さんが金曜の深夜番組、R30に出演していました。

その一言一言が心に重く響いて、なんかいろいろ考えさせられたので、まとめてみようと思いました。
一番心に残っているのが、なぜリストカッターが生まれるのかというくだり。要約すると、叱られた反応のひとつだということ。大人でも会社で叱られる。叱られた父親はその鬱憤を妻に向ける。妻は子に向ける。大人は家庭のほかに外の世界があるから、ほかへ逃がすこともできる。それに対して子供は家庭と学校の往復でほかに逃げ場が無い。強い子供は、他の子供をいじめるか、これまでの世界(家庭と学校)に背を向け夜の世界へ行く。優しい子供は、外に向けて鬱憤を晴らすことができないから、家庭や学校から逃げて引きこもる。もっと優しい子供は、鬱憤を外に向けることも、引きこもって親に心配をかけることもできないので、鬱憤は自分に向かう。自分に向かった鬱憤の発現がリストカットだというのだ。
これで何を連想したのかといえば、(元)妻の事だ。
別れる前の一年ぐらい、彼女は家で引きこもり同然の生活を送っていた。結婚後、職を転々とした後、突然仕事をやめ、家でゲームをするだけの生活になった。別れる際の話し合いではじめて知ったのだが、最後の職場では人間関係が相当うまく行ってなかったそうなのだ。
最初の内は、英語学校へ行ったりしていた。だが、それも終わり、本当に家にいるだけになり、やがてゲーム以外のことをほとんどしなくなってしまった。僕は働きもせず、家事もしない彼女を最初は許していた。しかしやがて僕は彼女を追い込んでしまった。家にいるならせめて家事をしてくれとか、アルバイトでも始めてはどうかとか、言い続けた。
さすがに彼女はリストカットにまでは至らなかったが、彼女はさらに引きこもっていった。
水谷さんは、僕がどうすべきだったのかも教えてくれる。「叱るのではなく褒めろ」と言うのだ。彼はあくまで教育者。子供たちを対象として話すが、それは大人同士の人間関係でも言えることだろう。
さて、僕はそのとき彼女を褒めることができただろうか?家事もせず、ゲームしかしない彼女。褒めるところが見つからない・・・。悩んだが、ふと思いついた。あの時、僕がすべきだったのは、彼女に「愛している」と伝えることだったのではなかろうか。引きこもりの子供に対してだってそうだろう。何もしない子供、姿も見せない子供の褒めるポイントを見つけるのは難しいだろう。であれば、家族がすべきことは彼(または彼女)に対して、「愛している」と伝えるべきなのだろう。
僕が「愛している」と伝え続けることができていれば、彼女はその胸の内の苦しみを僕にうちあけてくれていただろうか?
ぐじぐじと後悔していても仕方が無いので、この反省を次に生かすとしよう。
次の機会がいつ来るのか、わかったもんじゃないが。

あ~、非常に恥ずかしい文章だな。できれば見ないでって感じだな。

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